このややこしい形式番号からは、開発から採用までの複雑な経緯がうかがえます。
ライフルの射程は長くて2kmもあります。しかし、戦場で兵士達はそんなに先の敵と戦うことはありません。ならば銃の射程は400mもあれば十分ではないかと考えたボルテ社は、口径こそKar98kと同じながら薬きょうの長さを切り詰めた独自の弾丸を考案しました。
1942年にヘーネル社がこの弾丸を使うMaschinen Karabiner 42(H)を試作し、ワルサー社との競争に勝利し生産が開始されます。しかし戦局がドイツの不利に傾くと、ヒトラーは補給の問題からMkb42(H)の生産を停止します。しかし前線の要求は増え続け、兵器局は名をMP43とし、あたかも機関短銃であるようにごまかして細々と生産を続けます。
44年、功績のある将軍達の要求でMP43はMP44と名前を変えて正式に生産が始まります。また年末には戦意高揚のため、StG44(Sturmgewehr = 突撃銃)と再び名を変えました。
MP44はライフルの精度、威力、機関短銃の機動力を備えたオールマイティな武器です。しかし一方でどの分野においても専門家に負ける器用貧乏ともいえます。ですが、型にはまった時の破壊力はドイツ軍を一気に勝利へと導くでしょう。
MP44は戦後ソ連の手に渡り、これを研究したソ連軍はAK47を開発します。その後、現代に至るまで歩兵の装備は突撃銃が主流になっていきます。
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